どりいむ合奏団物語

(文・リーダー岡真澄)

 

1991年、長女が倉敷市立西阿知幼稚園に入園し、家庭訪問で担任の先生(佃敏子先生)が我が家に来られた時のこと。

たまたま音楽室の扉が開いていて、私のたくさんの楽器が先生の目にとまりました。

私は幼少の頃からマリンバを習っており(京都エンゼル合奏団所属)、中学高校は吹奏楽部のパーカッション、そして

音大の器楽学科打楽器専攻へ進み、私のまわりにはいつも音楽がありました。だから我が家には、グランドピアノや電子

オルガンと共に、大きなマリンバ2台を始め、グロッケンやスネアドラムなど、数多くの打楽器類がところ狭しと置かれ

ていたのです(当時は子育てに明け暮れ、ホコリまみれではありましたが…)。

「ぜひ、園児たちにこのマリンバを聞かせてあげてほしい」、先生のこの一言が、どりいむ合奏団の始まりでした。

「幼稚園PTA役員さんにピアノの先生がいるから、ぜひ紹介する」と言われ、のちに紹介されたのがサブリーダーの

西島法子です。「幼稚園まつりでマリンバや太鼓を演奏してほしい」…今でも鮮明に覚えています、園庭の片隅に楽器を

並べて演奏したのを。

 

そのあと、今度は家庭教育学級長さんからお声がかかりました。それが、どりいむ合奏団MCの真加部広子です。

「お母さんたちに合奏を指導してほしい」。は?、幼稚園のタンバリンやカスタネット、トライアングルでどんな合奏を

しろと?  なかば仕方なく引き受けた記憶があります。

時期は12月。「赤鼻のトナカイ」と「あわてんぼうのサンタクロース」を簡単に編曲し、我が家から楽器持参で指導に

あたりました。なにしろ、ほとんど音楽経験のないお母さんが40名ほど、練習はたった一回の2時間。楽譜を書いていっ

ても意味をなさず、困ったあげくに、歌詞の上に自分の演奏箇所を記すという、信じられない行動。しかし、最初は「わ

からない」「できない」と言っていたお母さんたちも、小物打楽器を片手に周りの人を真似たり、和やかでわきあいあい

の雰囲気になってきました。

さて、メロディーパートや伴奏はどうしよう! 「誰かピアノ弾ける人いませんか?」と声をかけると、「少しなら…」

と名乗りでてきてくれたのが、サブリーダーの原田真澄です。すると、もう一人、妊娠中のお腹の大きなお母さんが私に

話しかけてきました。「私、岡さんと同じ音大卒でクラリネット専攻です」、それがどりいむ合奏団の吹奏楽器担当の

守屋玲子であります。

その2曲がなんとか形になり、練習時間無事終了、「やれやれ楽しかった〜、ありがとう」で終わるはずが、園長先生

(守安節子先生)から、「ぜひ園児たちに聞かせてほしい」とのご要望。そんな気まったくなかったお母さんたちは、

最初は「恥ずかしいからイヤ」と渋ってはいましたが、翌日の本番日には、どのお母さんたちもおめかしをして来ている

ではありませんか!  

いざ、本番。子どもたちの前で舞台にたったお母さんたちはドキドキ、顔が引きつっていました。しかし、合奏が始ま

るやいなや、子どもたちの大合唱が重なり、お遊戯室は音楽と笑顔で満ち溢れたのです。お母さんたちはその子どもたち

の歌声に感激し、音楽を通してみんなが一緒にふれあうことの中から、なんともいえない新鮮な感動が生まれるんだと、

実感したのです。合奏が終わると、子どもたちから「アンコール!」の大歓声。あのやむことのないアンコールの声には、

私たちは涙が出るほど嬉しい気持ちになりました。結局、レパートリーがないので、同じ曲をもう一度合奏したのですが。

このほんの15分ほどの経験が忘れられず、しばらくした頃、どこからともなく「またやってみたい」との声があがり…

一大決心した私は、幼稚園の枠の中で限られたことをするのではなく、幼稚園の外で合奏団を立ち上げてみようと

思ったのです。

                           

 

 

 

1991.12.17      西阿知幼稚園家庭教育学級

 

 
 

 

 

 

 

 

 


二ヵ月後の平成4年2月には、20数名の仲間が我が家に集まっていました。さて、団名はどうしよう。無記名提出で

案を集めると、なんともおかしかったですよ。「若返りバンド」とか「青春復活バンド」など…、あの時、自分が感じた

ことがそのまま文字に出てきたのでしょうね。結局、いつまでも新鮮な気持ちで夢を見たいし、子どもたちと共に感動を

分かちあいたい、という気持ちを込めて「どりいむ」と名付けました。平仮名にしたのは、小さな子どもたちにも読める

ように…。

 

さて、まずしなくてはならないこと、合奏団ですから楽器を揃えること。出資金をみんなで出し合い、できる範囲で

楽器を購入。結成から数年間は、資金繰りのため、フリーマーケットをしたり、練習日にメンバーから参加費を徴収して

頑張っていました。練習参加費回数券を作ったりして、なつかしい思い出です。練習場所は我が家の音楽室。今は、楽器

の数も多く、PAも使うため、防音のある市の施設を借りないと練習はできませんが。

次にするのは、楽譜作り。どりいむの編成にあったものを自分で編曲しなければなりません。しかし、この作業は私に

は苦にはならず、楽しみでありました。その頃は今みたいに音響機器やPCが充実しているわけでもなく、楽譜を作るの

も大変でしたが、自分でアレンジした楽譜が音になった時、どう仕上がっているのかを聞くのが楽しみだったのです。

編曲に関しては専門的な知識があるわけではなく、CDを耳で聴いて譜面を一からおこすときなどは、かなり苦労や失敗

もありました。

 

さて、次はどうやって私たちの活動を地域に、そして世間に認めてもらうかです。自己満足に終わる練習だけなら誰に

でもできる、そこから一歩踏み出せる発表の場を早く作ろうと思いました。結成3ヶ月で近くの公民館を借り‘お楽しみ

抽選会’をつけての初のどりいむコンサート。今思い出すと笑えますが、「抽選会があって何かもらえるから、絶対きて

ね!」ってチラシをばらまきましたよ。何かもらえるって言っても、メンバーが持ちよった不用品ですよ(新品のもので

はありましたが…)。しかし、その時の私たちは真剣でした。お蔭様で会場は大盛況、確かに楽しかったけれど、終わった

あとの満足感が私たちにはありませんでした。なぜなら、平日の午前中にコンサートを企画したため、観客は大人ばかり。

子どもたちがいなかったのです。やはり、私たちは子どもたちと共に感動できるコンサートを、自分も楽しみながらして

いきたいと、その時みんなで決めました。

子どもたちに届ける「見て聞いて楽しめるコンサート・お母さんの手作りコンサート」をモットーに。

 

1991.5.29 西阿知公民館

はじめてのコンサート

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


結成1年目は、西阿知幼稚園の園長先生(故・岡田恵子先生)のお力添えもあり、近くの幼稚園でコンサートを数回させて

もらいました。岡田先生がいらっしゃらなかったら、きっとどりいむ合奏団はここまで大きくなっていなかったと思いま

す。先生が他園に私たちのことを伝えてくださり、幼稚園から幼稚園へとどりいむ合奏団の輪が広がり始めました。

一度、コンサートにお伺いすると、必ずまた翌年よんでくださる、それだけどりいむ合奏団は子どもたちの心の中にイン

パクトを残して帰るのだなぁと思いました。

 

結成1年目のどりいむコンサート

すごい!、このスモーク、苦労したんです。

なつかし〜い!、「ゆきやコンコちゃん」もいる。

 

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


結成2年目には年間コンサート数が15回。お父さんにも見せてあげようと、土曜日に小学校の体育館を借り、「親子

ふれあいコンサート」をした時には、山陽新聞の取材を受け、初めて新聞にも載りました。以後もテレビやラジオに出演

させていただく機会がたびたびあり、3年目には、年間コンサート数25回と活動範囲が順調に延びていきました。

 

 

   

1994.3.13 13人のメンバーの娘たちを率いて

岡山県総合福祉会館にて山陽テレビに初出演。

 

 
                              

 

 

 

しかし、4年を経過した頃、私の思いとは裏腹にメンバーとの間に亀裂が…。その頃には年間コンサート数30回ほど

になっていて(練習日や制作日数も含めると、年間60日はどりいむに費やしていることになってました)、「本番回数が

増えると負担」「どりいむ合奏団は自分が楽しむだけのものであればいい」、「私たちは芸能人じゃない!」と言われてし

まいまして(T_T)、どりいむ合奏団の中に本番回数を減らそうという動きが…。

その頃に私からメンバーへ綴った手紙が残っています。

 

もとは自分たちの楽しみのために始まったどりいむ合奏団、みんなのお蔭でここまで大きく成長し、

自分たちの楽しみだけではなく、たくさんの子どもたちや多くの人たちが私たちを待ち望んでくださる

ようになった。いつのまにか一人歩きを始めたどりいむ合奏団、それを私は誇りに思っている。

私自身、「自分の楽しみのために」は、今も変わらない。でもそれとは別に、あのギラギラと目を輝か

せて私たちのコンサートを見てくれる子どもたちに会えることが、私にとっての今のやりがい、そして

大きな楽しみとなっている。そして、もう最初の主旨だけのどりいむ合奏団に戻ることは難しいと感じ

ている。むしろ、前向きに今の状況に応じて、自分たちを変えていく必要があると思う。今しかできな

いことを今やる。チャンスのある時に一生懸命やる。「どりいむ合奏団ってすごいね」と言ってもらえる

うちにやる。この考えにみんなはついてきてくれないだろうか。

「音楽は音を楽しむこと」、人に感動を与えるには自分が楽しみ、自分が感動しないと伝わらない。

どりいむ合奏団は、そういう仲間でありたい、いつまでも成長し続ける合奏団でありたい。

 

そして、その時、何人かのメンバーがどりいむ合奏団から去っていきました。

 

 

 


  

 

 

 

 

 

 

 

100回記念コンサート 

ライフパーク倉敷 1997.11.15

 

7周年記念コンサート 

倉敷芸文館 1999.6.6

 
 

 

 

 


平成27年、結成24年目、コンサート回数も昨年、700回を超えました。

ありがたいことに、毎年、コンサート依頼が入るので、いつまでたってもやめられないというわけです…。

以前には、上記写真のように、100回記念コンサート、7周年記念コンサートなど、プロの照明さん、音響さんも入れて、

ケーブルテレビにも放映していただくような大舞台もしましたが、さすが、みんなその気力と体力はもうありません(*^_^*)

なにしろ、歳を重ね、お母さん世代からお婆さん世代に突入、見栄えも悪くなってきた〜(^_^;)

でも、ご依頼がある限り、やれるところまでやってみようと思っています。

 

現在メンバー10人、MC3人、合計13人の内、10人は結成当初から苦楽を共にしてきた仲間です。メンバーたちは、

「耐えながらよくここまでわがままリーダーについてきた」…と笑っています。なにしろ、コンサートの企画構成を考えた

り、曲を書くのは私ですが、それを試行錯誤しながら、汗水たらして形にしていくメンバーは大変らしいです。私は、人を

楽しませるのが大好き、どりコン♪ご覧になった方はご存知でしょうが、笑い転げて涙がでるでしょ?  子どもたちより、

先生や保護者の方が楽しんでいただいているのかもしれません。いや、何よりも私たちが一番楽しんでいます。年々、パフォ

ーマンスが派手になっていくという声もありますが、どりいむコンサートで音楽ってこんなに楽しいんだと感じてもらえた

ら、とても嬉しいです。

衣装や小道具制作、練習・本番日を含めると主婦の片手間ですまされるどころではなく、今はどりいむ合奏団のかたわら

主婦をしているようです。それでも私たちは楽しい。楽しいから笑顔でいられる。笑顔でいられるから、家庭も明るい。

家庭が明るいから、よい子が育つ!?…と、私は思っています。

 

                                                  The end2015.1.7追記)

 

 

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